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福岡高等裁判所 平成2年(ラ)130号 決定

主文

原審判を取り消す。

本件を福岡家庭裁判所小倉支部に差し戻す

理由

一  抗告人両名は主文と同旨の裁判を求めるが、その理由は別紙記載のとおりである。

二  家庭裁判所は、相続放棄の申述に対して、申述人が真の相続人であるかどうか、申述書の署名押印等法定の方式が具備されているかどうかの形式的要件のみならず、申述が本人の真意に基づいているかどうか、三か月の熟慮期間内の申述かどうかの実質的要件もこれを審理できると解するのが相当であるが、相続放棄申述の受理が相続放棄の効果を生ずる不可欠の要件であること、右不受理の効果が大きいこととの対比で、同却下審判に対する救済方法が即時抗告しかないというのは抗告審の審理構造からいって不十分であるといわざるをえないことを考えると、熟慮期間の要件の存否について家庭裁判所が実質的に審理すべきであるにしても、一応の審理で足り、その結果同要件の欠缺が明白である場合にのみ同申述を却下すべきであって、それ以外は同申述を受理するのが相当である。このように解しても、被相続人の債権者は後日訴訟手続で相続放棄申述が無効であるとの主張をすることができるから、相続人と利害の対立する右債権者に不測の損害を生じさせることにはならないし、むしろ、対立当事者による訴訟で十分な主張立証を尽くさせた上で相続放棄申述の有効無効を決する方がより当を得たものといいうる。そして、相続人において相続開始の原因となる事実及びこれにより自己が相続人となった事実を知った時から三か月以内に相続放棄の申述をしなかったのが、相続財産が全くないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由がある場合には、右熟慮期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である(最高裁昭和五九年四月二七日判決・民集三八巻六号六九八頁)。

三  ところで、本件記録によれば、抗告人藤津スミヱ(大正一三年一〇月一五日生)は藤津康廣(大正一五年二月一日生)の妻、同藤津典秀(昭和二九年七月二二日生)はその子であること、康廣は昭和六三年一〇月二八日心不全で死亡したこと、康廣と中川正美との間には、「昭和五四年八月四日、中川正美が内川ヒロ子に対し、五〇万円を弁済期同年九月三日、利息年一割八分、損害金年三割六分の約で貸し付け、康廣ほか二名が連帯保証した」旨及び全債務者の執行受諾文言が記載された福岡法務局所属公証人船津敏作成の昭和五四年第一九九七号金銭消費貸借契約公正証書(以下「本件公正証書」という。)が存在すること、抗告人両名は、平成元年一一月二八日に同月二四日付承継執行文の付された本件公正証書謄本の送達を受け、同年一二月一二日ごろには中川正美から同月一一日付の請求書で抗告人両名の各相続分が六九万三五八八円になるとしてその即時支払を請求されたこと、抗告人両名代理人の佐藤弁護士は、同年一二月二〇日、福岡家庭裁判所小倉支部に対し本件相続放棄の申述をしたことが認められ、抗告人両名は、本件において、要旨、次のとおり陳述する。「康廣は、昭和六一年会社を退職して以来年金生活をしていたが、住居は借家であったし、貴金属、預金等の財産と呼べるものは何も残していなかったので、スミヱとしてはその後の生活をどうするかで頭がいっぱいであり、相続のことなど頭に浮かびもしなかった。また、康廣は無口なたちで、スミヱに外でのことを話すことは余りなかった。それで、スミヱは康廣の生前、借金のことを聞いたことはなかったし、債権者から家に支払の催促が来たことの記憶もない。スミヱは、平成元年一〇月一日男の人から電話で康廣の所在を尋ねられ、死亡したことを伝えると、死因等を聞かれた後、同人の借金を払ってもらわないといかんといって、電話をきられた。残金や連絡先など詳しいことは聞かなかった。スミヱは、同月五日区役所の無料法律相談に行って債務の相談のことを聞き、翌六日福岡在住の典秀に電話して対策を相談した。そして翌七日両名で弁護士事務所を訪れ、相続放棄制度の教示を受けた。しかし弁護士に委任すれば費用がかかることでもあり、同弁護士からも康廣に本当に借金があったかどうかもう少し様子をみてみたらどうかと助言を受け、両名で対策を思案していたところ、同年一一月二八日、本件公正証書謄本の送達を受けて初めてその内容を知り、先ごろの電話の主が中川正美であったと推測できた。そこで再度弁護士に相談したところ、利息を加えると元金より多くなっているかもしれないことや今からでも相続放棄の申述が間に合う可能性があると教えられ、同年一二月九日同弁護士に本件相続放棄の申述手続を委任した。典秀は昭和四〇年ころ大学生当時に康廣と別居し、昭和五七年結婚して独立し、以来福岡市内に居住しているので、同人の仕事や生活関係のことは殆ど知らず、借金の話など聞いたことがなかった。

そして、前記認定のとおり、相続債務たる康廣の債務が保証債務であること、本件記録上、康廣が積極財産を残した形跡を認めるに足りる資料はないこと、その他前記認定の事実によれば、平成元年一一月二八日に本件公正証書謄本の送達を受けて初めて康廣の債務の内容を知ったとの、抗告人典秀の前記陳述部分は首肯できるものである。他方、本件記録によれば、中川正美は本件公正証書に基づいて昭和五五年康廣の電話加入権を差押え、抗告人スミヱが昭和六一年これを買い受け、同年一〇月一四日中川正美は弁済金の交付を受けたことが認められ、この事実に照らすと、抗告人スミヱの同趣旨の陳述部分をそのまま首肯することには疑問がないわけではない。しかしながら、同抗告人が電話加入権を買い受けたのが昭和六一年であったこと、右買受けの具体的経緯を認めるに足りる資料が何もないことを考えれば、同抗告人が昭和六三年一〇月二八日の康廣死亡時に相続財産が全くないと信じ、かつ、このように信ずるについて相当な理由があった場合に当たらないことが明白であるとまでいうのも躊躇される。なお、本件記録によれば、康廣は昭和六二年一一月二八日本件公正証書上の遅延損害金債務の履行として中川正美に対し二万九五八九円を支払ったことが認められるが、このことも右判断を左右するものではない。

そうすると、抗告人両名の民法九一五条一項本文所定の三か月の熟慮期間は、本件公正証書謄本が送達された平成元年一一月二八日から起算されると認める余地があるから、本件相続放棄の申述はこれを受理するのが相当である。

四  以上によれば、本件抗告は理由があるから、家事審判規則一九条一項に従い原審判を取り消し、さらに調査審理の必要はないが、本件申述の受理手続を担当させるため、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 佐藤安弘 裁判官 川畑耕平 裁判官 簔田孝行)

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